湊の酒屋としての創業
享保4年(1719年)に初代若松弥右衛門によって若松酒造は『湊の酒屋』として創業。この享保4年というのは初代若松弥右衛門の没年とされています。
江戸時代の市来湊
江戸時代、薩摩藩時代の市来町は、参勤交代の第一宿場町として栄えました。また、阿久根と共に優秀な良港であったと言われ、商港としても栄えました。市来湊町は非常に豊かに物資が集まったと言われています。当時の市来湊の商人はほとんど帆船を持っていたと言われており、若松家も帆船を持ち盛んに交易をしていたと考えられます。
若松家と祗園祭
三代目若松新兵衛の文化文政時代(1800〜1830年頃)は、当時の市来町の湊町が商港としても宿場町としても非常に活気付いていた時代でした。文化9年(1812年)、市来湊の更なる繁栄を祈願するため、若松宇吉らが京へ上り、「祇園さん」として知られる京都八坂神社を勧請するとともに、市来湊へ祇園祭を持ち帰り始まったとされます。祇園祭といえば華麗な「山車」の巡航が目玉ですが、山車に飾る木製人形の背中には文政12年(1829年)に作ったという記録が残っています。現在でも7月末から8月初旬の金曜日に前夜祭として「裸山」と呼ばれる飾りのない山車による競演が、そして土曜日に行われる本祭では、男山と女山の4台の山車が街中を練り進みます。かつて、市来湊の祗園祭といえば県下一品の名声を博して、遠近より観客を集めています。
現存する日本最古の酒類製造免許鑑札
五代目若松弥右衛門の頃、時代は江戸から明治へと移り変わります。明治に入ると政府によって酒類税則が制定され、明治13年(1880年)9月に制定された酒造税則によって、それまで酒の種類ごとに課税された酒造免許税が、酒造場ごとに課税されるようになり、酒類製造営業免許鑑札が交付されました。若松酒造はこの酒類製造営業免許鑑札を明治13年(1880年)10月21日付大日本帝国政府発行第一三八七六号として受けており、これが現存する日本最古のものだとされています。酒類製造営業免許鑑札は六代目若松清次郎に対して交付されています。
米焼酎から芋焼酎へ
若松酒造をはじめとする市来(現いちき串木野市)で造られた焼酎は『市来焼酎』と呼ばれ、若松酒造も米焼酎や地酒を造り、風味芳醇な味わいで名声を集めました。明治42年(1909年)に松崎吉次郎が甘藷を利用した芋焼酎の製造に初めて成功、これを機に各醸造家たちが芋焼酎を製造しはじめました。若松酒造でも戦時の米不足を契機に芋焼酎製造に切り替えていきました。
幻の銘柄「初桜」
若松酒造には「初桜」という焼酎ラベルが残っています。記録に残る若松酒造最古の銘柄の一つで、若松酒造の得意とする「米焼酎」です。
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